実際の出来事を各種架空名称に置き換えて一応時系列で進めて行きます/途中から読む人は内容が判らないと思いますので、出来ればトップページへ移動 して最初からお読み頂くことをお勧め致します。
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話しを進めて行く中で度々頭巾の書く実に奇妙な文章の事が出て来るはずなので、頭巾の文書について予め説明しておく必要があろう。
私は以前から頭巾との共著では随分と梃子摺らされたし、Eメールの連絡では何が書いてあるのか簡単には理解出来ず、それを解読するために随分と時間を無駄にさせられた。
和文の場合ではあるが、例えば投稿前のレポートに〝犬と猫が仲良く同じ皿から餌を食った〟という文章が有ったとしよう。それを頭巾が添削すると〝餌が犬が猫が仲良くが皿が食ったが同じ〟の様な文章になるのだ。
また〝私が〇×ベーカリーの私はパンが私は毎日が私が買う〟と言った様な奇妙な重複が多かったり、接続詞・助詞・副詞等々の使い方目茶苦茶なのだ。
また句読点がまったく無い時が有るかと思えば、句読点過使用の文を書いたり、文中に突然幼児言葉が出て来たりと例を上げれば限がない。
特にEメールでの文章では此れ等の特徴が顕著であり、自身に取って不利な状況が起った場合や不快な出来事に対する憤懣がある時等の様に、何かの切っ掛けがあると読む者を困惑させる様な解読不可能な文書を書き散らす事が多々あった。
「そんな文章しか書けないのであれば、教授職などと言う仕事が成り立たないじゃないか」と不審に思う人も多かろう・・・しかし頭巾は至極真面な文章も書く事が出来るわけで、事務手続き上の文書や、共著論文等を見ると可笑しな印象は然程受けないのだ。
しかし後になって「どうやらそう言う事だったのか」と言う事が露呈してくる・・・それは私との和文の共著論文やレポートの執筆で起こっていた事なのだが、必ず頭巾が添削すると上記の頭巾文法が適用され、それを私が再添削してもすぐに元に戻されてしまうと言う添削合戦が延々と続く事になり、まるで忍耐力のテストをしているかの様な気分にさせられた物だ。
なんとか双方折り合いの付く文面に仕上げるのは非常に困難な仕事だったが、その様な行動を頭巾に止めさせる方法としては、文法を持ち出して説明するのが一番だった。
(折り合いを付けても、頭巾は私に内緒で提出後の著作を弄る事まであった)
しかし私が気付いていなかっただけで、頭巾は古黍の文法攻撃を根に持ち続けていた事が後に判るのだが、その話は後の章で記そう。
頭巾の添削であまりにも露骨に奇妙な文章に変えられるので、私は頭巾及び頭巾共著の他の学術刊行物を片端から点検してみた事まである。
さて先程書いた「どうやらそう言う事だったのか」と言う話しなのだが、頭巾は私を1)取るに足りない格下の存在と思っており「此奴のレベルなら此の程度の文章で良いだろう」と考えていた事が、頭巾大先生が2)口を滑らせた事から判ったのだ・・・勿論それ以前に私は薄々感付いてはいたのだが、疑いだけで決め付ける事も出来なかったのだ。
頭巾が口を滑らせたのは、私が此の大先生と袂を分かつ事になる少し前の事だった。
しかし学術投稿ではない普段のEメールで送られて来る文章の滑稽さは、私だけではなく多くの人が目にしているものであるが、共著物の時とはまた少し違った可笑しさで、頭巾特有の癖だったのかも知れない。
何故なら一度、私は頭巾から頭巾の上の立場にある人への真面な文面のEメールを見る機会があったのだが、それでさえ僅かに頭巾らしさが見え隠れしていたからだ。
あるとき私はラボで頭巾に「どうしてあんな文章を書くのか? 3)あれでは要件が正しく伝わらない事さえあるし、なんとか解読しようとする相手に時間の無駄を強いる事になる」と苦言を呈した事があるのだが、頭巾の返事は勿体を付けて「あれが私のスタイルなのだ」と言う、どうしようもないものだった。
1)4章の注釈1に記したが、頭巾は普段から誰に対しても、格下の人にも常に愛想の良くニコニコしていて、
人当たりの良い態度をとっており、付き合いの浅い人や単発的に合う人からの評価は非常に高かった。
しかし自分にとって面白くない事が起ったり、批判を受ける、或いは勘違いをして態度が豹変するわけ
で、我慢に我慢を重ねた上で怒りだすと言うのではなく突然大声を出したりするのだ。
2)頭巾は口が軽い事この上ないと言う面もあり、言って良い事悪い事区別なくペラペラと喋りまくるのだ。
3) どうでも良い雑談であれば読まずに捨てれば良いのだが、捨てるわけには行かない連絡の時は困った。